家の近くをブラブラ

家の近くのお寺などをブラブラと歩いた。引っ越して数ヶ月経つのに、まだ半径300mすら把握出来ていない。。今になってもまだまだ発見がある。これって、どうなんんだろうか、もっと地に足をつけないとダメだなぁ。

とはいえ、家の中でダラダラと本を読んだり勉強したりする時間は非常に好きです。

効率は良くないんだろうけど。。

朝霧JAMに参戦した

2011年10月8〜9日に富士山の麓で行われた朝霧JAMに参戦した。場所は以前GO OUT CAMPでキャンプしたふもとっぱらだと思っていたら、そこは駐車場&オートキャンプとしての場所となっていて、ライブステージを楽しむためには、そこからシャトルバスに乗って別の場所で幕営する必要があった。ふもとっぱらでキャンプできると思ってたので、ちょっとがっかり。。
しかしイベント自体は自由すぎず束縛されすぎず、ちょうど良いテンションだった。好みの問題になるんだろうけど、あんまり「はい、ココに行って、次はこっち、その前ここに並んで。はい、この整理番号の人はここの区画。トイレはあちらです。。etc..」というように管理されたイベントは、確かに安全で、どこからでも良い音で聴こえたり、快適に過ごす事はできるかもしれないけど、なんか肌に合わない。某都市型フェスに心惹かれないのはこういった理由もあるのかもしれない。

写真は例によってRedscaleで撮影。一回装填したら中々変えられないのがフィルムの難しいところ。

先に現地入りして場所を取っていてくださったいわおさん夫妻らには、本当に毎回お世話になっております。。いつか逆にお世話したいところなんですが、なかなか、恩を仇で返すような事しかできておらず。(車の中で寝るなど・・・。)

デジタルでも撮ったが、あんまり一つの出来事のなかで混在するのもな〜。と思って、最近はコンタックスしか持ち歩かなくなりつつある。

2日目の朝の太鼓は非常に凛としていて良かった。

Lomography Redscale XR 50 – 200

Lomographyから発売されているRedscaleというシリーズのフィルムがある。このフィルムは、普通のフィルムとは感光面が裏表逆で巻かれている。

感光面に光が当たる前に、一旦オレンジ色の素地を通過しているため、暖色側に色が遷移する。この遷移の仕方が面白くて、長時間露光すればするほどセピアに近づいて、短い時間の露光だとオレンジ色が強くなる。このフィルムをCONTAX TVSIIにセットし、目黒にある自然教育園に行った。

難しい。。。やはり基本オーバー気味に撮るのがコツらしい。。

自然教育園は都心にあるとは思えない広大な敷地の植物公園で、非常に良かった。

ペルー旅行期(最終日)

登山のディティールはすぐに忘れてしまう。たとえエベレストでも忘れてしまう。だからぼくは書き留めておく。暖かくて体の隅々に染み渡るこの記憶のスープが、薄く冷たくならないように。

For Everest / 著:石川直樹

6エントリーに渡って書き綴ってきたペルー旅行期も今回で最後。今までの記事はこちらのタグにまとめた。旅の日記を書き終わってしまうという事に対しては、一つの旅が完結した思い出として記録されるということで、清々しいような、すこし寂しいような気持ちである。

前日、古代インカ帝国の首都クスコから、汽船などが航行可能な湖として世界最高所(3810m)として知られるチチカカ湖のほとりにある商業都市プーノにバスで移動した。道中、バスガイドが言うには、プーノはクスコよりも標高が高い場所にあるにも関わらず、気温は暖かいらしい。理由は、チチカカ湖が昼間に強い直射日光にさらされ、夜はその水が巨大なヒーターとなるためとのことであった。(ちなみに、チチカカ湖は琵琶湖の12倍の大きさらしい。)確かにクスコよりも温かいように感じた。

チチカカ湖の西側に丘に位置するホテルなので、強く朝日が差し込み、早朝に目が覚めた。朝食としてコーンフレークにジャムを入れたものやドラゴンフルーツなどをとりチェックアウト。
ペルーへの入出国に必要なイミグレーションカードを無くしたことも、出国時にいくらかのペナルティを払う事でおとがめ無しということを聞き、安心した。

その後、チチカカ湖に葦を集めて島を作りその上で暮らす民族、ウル族の村に向かった。もちろんここも観光地であり、格安でボートに乗る事ができた。チチカカ湖はペルーとボリビアの2国間に位置する事もあり、船には両国の国旗が飾られていた。

プーノの空は高い。

ウル族は、インカ時代に賎民として追われて浮島に暮らすようになったとも言われており、現在は純粋なウル族はいなく、ケチュア族やアイマラ族との混血の人々が暮らしているとのことだった。彼らの生活の源はの1つは漁業であり、2つ目は観光業であった。

この旅の途中にずっと感じていたことは、マチュピチュの麓の街にいた子供達を見てはっきりと認識した感情であったが、自分たちのような異国の文化などを楽しもうとする観光客が、現地の昔からの暮らしを変えていくということだった。

ペルーは観光による収入が非常に大きいとはいえ、日本人の観光客の多くは物価を低く感じたと思う。また自分たちが落とす外貨は、現地の人々の月収の数ヶ月分にあたることも目の当たりにした。確実に自分たちは、彼らの経済系を乱していると感じた。しかし、ウル族のいくつかのグループのうちの、1人のリーダーが言っていた。自分たちの暮らしも変わって行くのだ、と。

この地でこんなにお金を使っていいのか?と思う事自体、おこがましいのかもしれない。彼らには彼らのグローバル化がある。チチカカ湖に面する都市プーノはボリビアとの商業拠点であるため、ビジネスマンが多く訪れる。現地の物価で利用可能なインターネットカフェも存在した。もはや世界中の多くの場所で、経済的に無知・弱者のフリは通用しないことを、日本人以上に彼らは強く認識しているのかもしれない。

プーノを後にする直前。朝、太陽の光が強く当たっていた西側の丘の上から。

自分としては初めての南半球であったため、どういう旅になるか、心配していたこともあったが、無事旅を終える事ができ、また世界史の参考書を見るだけでは発見できない、いくつかの感情にも出会う事ができた。
ペルーにあるものは、遠く古代から発展してきたインカ帝国の遺跡だけではなかった。

往路と同様に、帰りも経由地点であるアメリカはヒューストン空港に飛んだ。機内からはアンデス山脈が見えた。

南半球の空の青色がグラデーションを描いて溶けていた。

ペルー旅行期(5日目)

5日目は完全に移動日だったが、何故か一番思い出に残っている。観光名所ではなくて、ペルーの人々の生活を見る機会が多かったからか?いずれにせよ、数ヶ月たった今でも鮮明に覚えている日である。

今まで拠点としていた都市クスコを離れて、アンデス山中のペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖「チチカカ湖」のほとりにあるプーノという都市に移動する日であった。移動手段はバスで、インカ・エクスプレス社のバスで移動した。
途中休憩場所として、歴史のある教会や遺跡、峠などで休憩を挟みつつ、およそ8時間程度の旅である。

朝の7時半頃にクスコを出発。この時点で、この旅行でクスコは最後であるため、ちょっとだけ寂しくなる。ほんの数日過ごしただけの街に対して思い入れが生まれるのも旅の良しあしだと感じつつ後にする。

1時間ほど高原を走ると最初の休憩である。最初の訪問地は、アンダワイリーヤスという教会がある村だった。バスガイドによると、17世紀にスペイン修道士によって建造された、国内でも有数の豪華な内装がある教会とのことだった。ちなみにペルー国内の教会は、偶像崇拝禁止の観点から、ほとんどの場所で建物内での写真撮影は禁止されていた。

絵画や壁画、天井に描かれた綺麗な模様、金ぱくで飾られた祭壇などを見て、当時のエバンジェリストの工夫や熱意に思いをはせた。大都市からは離れているとはいえ、クスコとプーノを結ぶ交通拠点であるためか、土産物をうる商人の姿は多く見られた。

ここでもやはり観光業が多くの家庭の生活を支えている事はあきらかだった。アンダワイリーヤスでの休憩を終え、再びバスは走り出した。この頃から周りの風景は、高原から高地へと姿を変え、植物が高山植物に変わり、家の作りなどが乾燥したレンガ造りに変わっていたのが印象的だった。

小学校らしき場所で子供達がサッカーをしていた。

アンダワイリーヤスから1時間程度走ると、ラクチに到着した。ペルーという国は複雑な文脈があり、古くはインカ帝国の発祥・繁栄以前からも宗教的文化圏が存在した。また、16世紀には、高校の世界史で有名なフランシスコ・ピサロ率いるスペインの征服者達が侵略し築いた、近代(?)のインカ帝国の文化も存在する。
この辺りの差異等を抑えて旅をするのが一番面白いのだろうが、残念ながら勉強不足での敢行となったことが今になって悔やまれる。
ともかく、バスガイドが言うには、今バスが休憩所として停車したラクチにある遺跡は、古代インカ帝国発祥よりも古くからこの地にあったというインカで最も聖なる神殿といわれる場所であるとのことだった。

マチュピチュやクスコでも見られた、古代インカ帝国文化圏に特有の緻密な石組みの上に、独自の土壁を組み合わせた方式で、このラクチ遺跡は建築されていた。ここは高度も3500m近く、乾燥して日差しも強い気候で、土による建築技術が発達しやすかったのかもしれないと素人ながら考えた。これらの遺跡では、現在も少しずつメンテナンスが行われ、当時の姿を再現する作業が行われいていた。

ラクチを発って2時間弱、少し眠りについていたら、シクアーニという小さな村につき、ここでビュッフェ形式の軽めの昼食をとった。

今まで書いて無かったが、今回のペルー旅行全日程を通して、食事に不満はなかった。強い日差しや、もしくは乾燥した風土が良いのかは不明だが、果物や野菜は旨味が凝縮されていた。また、山岳地帯や熱帯などが比較的近距離に位置する為か、食材が豊富であったように思う。

食事を終えて再びバスに乗り2時間弱ほどで強い頭痛が訪れた。頭痛の理由は高山病で、この時に今回のペルー旅行での最高峰を迎えた。場所はララヤ峠という、ペルーを南北に分つアデンス山脈の一地帯である。写真を撮っている地点で既に高度4338mだった。

目前に見える雪山はアンデス山脈の名峰であるチモヤ(5489m)やクヌマラ(5443m)であった。

どうやらララヤ峠が今回のバス移動の最高到達点であり、あとは標高としては下って行くだけだった。1時間ほど下り、プカラという村に到着。ここも古代インカ帝国時代の遺跡が発掘される場所であった。

そしていよいよ日が暮れるころになり、本日の目的地のプーノに到着。

プーノは世界最高地に位置する湖であるチチカカ湖を有する観光地という側面の他にも、クスコやマチュピチュとは違い、ボリビアに面すると言った商業都市としての一面も垣間みれた。

ホテルにチェックインした後に街を探索したが、若者やビジネスマンを中心とした賑やかな街であった。

(建物の多くに、次期大統領選挙の立候補者の名前が書かれていた。これが書かれている理由については、次回の日記で詳細に記す。)

街の観光客向けのレストランで夕飯をすませた。非常に寒くかったことや、高度が高かったこともあり、ホットワインで驚くほど酔っぱらった。

また、この時点でペルー入国・出国に必要な移民カードを紛失していたことが発覚した。。。(この事の顛末の詳細は、自戒の日記にて記す)。出国手続きが非常に面倒になることを予感しつつも、この日は移動で疲れていたこともあり、早い時間に就寝した。

Massan x Macaframa Raw

やっぱこのライダーほんと凄い。
Macaframaには珍しく撮影機材も明記してあるのが参考になって嬉しい!

Massan x Macaframa Raw from MACAFRAMA on Vimeo.

We filmed this Hill in April 2011 during the very beginning of production for Macaframa’s second feature. This was filmed with our initial car mount system that is not as sturdy as the current setup, therefore being a little shakier than our standard for what will make it into the film. That being said, Massan kills it on every road he touches. Enjoy.

Technical Notes:
Cameras: 5D 70-200L f4
7D 10-20 Sigma

ペルー旅行期(4日目)

3日目のマチュピチュ登頂につづき、この日はマチュピチュの隣にあるワイナピチュという山に登った。ワイナピチュとはケチュア語で「若い山」という意味であり、「古い山」を意味するマチュピチュとは対称的に、そこには発達しきらずに残された都市の遺跡があった。ワイナピチュは急坂や鎖場などがあるためか、1日に先着400人と入場者が制限されていた。

前日と違って天候は悪く、登りはじめてすぐ雨が降り始めた。雨粒の大きさ、降る量の多さが、日本とはまったく違う気候の場所にいるんだなということを思い出させた。

山の中腹にさしかかるとマチュピチュ遺跡を見下ろすことができた。

頂上に近づくに連れて岩場しかなくなり、足を滑らせれば怪我ではすまないような場所が多くなってきた。道を外れると崖が綺麗に切り落ちていて、実際に、毎年何人かが滑落するという事故が起きているとのことだった。

あまりに雨が強くなり、カメラの故障が心配だったので、山頂では写真を撮らなかった。そもそも、写真を撮ったとしても周囲はかなりガスが出ていて、10m先くらいしか見えなかった。
下っている時に少し雲が晴れて、渓谷を流れるウルバンバ川を見下ろす事ができた。

山の麓からは、角度的にこれらの空中都市の存在を確認することはできない。このため、これらの遺跡はスペイン人から逃れるために、インカの人々が作った秘密都市だったのではないかと言われている。

山から下りて、クスコまでの帰りの電車の時間まで、アウグスカリエンティスの街をぶらぶらとした。

当然ながら、ここで暮らす人達もいる。この時に今回のペルー旅行で一番気に入った写真が撮れた。

世界的な観光名所の街に暮らす子供達。彼らにとっての外国人が現地で落とすお金は、おそろらくペルーの他の都市よりも桁違いで多いだろう。彼らにとってマチュピチュって何なのか??子供達の笑顔を見てそんなことを考えた。

16時ごろの電車にのり、クスコに戻った。雨に打たれて疲れたので、そのままホテルで21時には就寝した。

ヨドバシカメラのレンジファインダーカメラ特集サイトが良い

このyodobashi.comドメイン配下にこんなオシャレコンテンツがあっていいのか!(失礼)

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中でも気になる記事がこれ、GXRにライカマウントが出たので、ってやつですけど、ほんとRICOHって凄いドープなメーカーだな〜。あ、そういえばGR Digital IVでましたね