初めて赤岳に登ったのが2010年8月。それ以来、いつか冬に登りたいと思っていて、ジョギングやら筋トレやらを地味に実施。今年こそやらないと、また来シーズンになってしまうと思ったので敢行。
当然と言えば当然だが、圧倒的に今までで一番過酷で怖い登山だったし、下山して3日たった今でも何となくあの時の死にそうなビリビリとした緊張感の中にいた感覚が残っている。あとこの登山で右耳に本格的な凍傷を負ってしまって、現在治療中である。
ただ、振り返ってみると、自分の体力的なものやスキル的なもの、判断力を頑張って精一杯発揮できた、とても良い登山だったと心底思う。

今回選んだルートは下記の通り。

美濃戸口→美濃戸山荘→南沢→行者小屋→文三郎尾根→赤岳山頂

西側から登るというコース。冬期の赤岳としては、2番目に易しいコースとのこと。
何故このコースにしたかというと、単純に難易度が(まだ)低い方だということと、実は前回の赤岳登頂のときの下りでほぼ同じルートを踏んでいるので、そういった安心感を求めて。

とりあえず深夜に白金を出発し、明け方に八ヶ岳山荘に到着。冬でもそこから車で美濃戸口まで行けるということだったのだが、見た感じジムニーとかパジェロミニとか軽量系四駆しか行けない(そのとき乗ってたのはデミオ)。予定外だが、歩いても1時間くらいなので、八ヶ岳山荘に駐車して歩くことに。


八ヶ岳山荘で車から降りる最初の一歩から既にアイゼンは装着済み。


一時間くらい歩くと、本来駐車しようと思っていた美濃戸口に到着。やはり四駆でないと無理だ。(四駆でも行けたかどうか。)

ここからは南沢を経由して行者小屋に向かう。前回の下りでも感じたが、美濃戸山荘〜行者小屋までのアプローチが本当に苦しい。斜度が無いので高度は稼げない。景色は良いかというと、基本的に沢を沿って歩くだけなので何も変化無し。高々2時間半くらいの歩きなので肉体的には余裕はあるが、精神的に消耗する。そしてその気力の消耗によって集中力が切れてしまうということが今回の登山では一番怖かった。


行者小屋に到着。登山者に話しかけてみると、文三郎尾根に行く人、地蔵尾根に行く人、赤岳鉱泉を目指す人、色々であった。写真の二人組は、いわゆるバリエーションルートである西壁主稜に取り付き、アンザイレンによるミックスクライミングで山頂直下まで直登すると言っていた。

行者小屋から30分程度歩くと、長い長いアプローチが終わって、ようやく文三郎尾根へのとりつきへたどり着けた。ここからようやく登山という感じである。

しばらく登って後ろを振り返ると、アプローチしてきた美濃戸からの沢が見えた。下の写真の谷になっている部分を歩いてくるのが今回のアプローチだった。

文三郎分岐が近づくにつれて、遠くから見てもどう考えても危険なので、もう諦めて引き返した方が良いのではないかと思い始めてきた。

ただ、今のところ決して大きな失敗はしていない(あえて言うなら最初の八ヶ岳山荘から美濃戸口まで1時間くらい想定外の歩きがあったが全く問題では無かった)。それなのにただ怖いからといって帰るのが、何となく理由を付けているようで嫌だったので、とりあえず山頂直下の核心部までは前進しようと決めた。

あと、終始謎の行動をとるおっちゃんがいて、行者小屋から常に後ろについてきていた。風よけにしていたのか、俺がアイゼンを蹴り込んで作ったスポットを使っていたのか不明だが、先に行くように言っても行かないし、俺が休んだら休んでいた(上の写真参照)。別にパートナーでも何でもないので、「次はお前がトップ引けよ!」と言う気もなければ、そもそも権利も持っていないので、ほうっておくことした

そうこうしているうちに引き返すかどうかを決める核心部の真下に到着した。文三郎尾根の核心部付近はミックス気味になっていて、今まで一発で決まっていたアイゼンやピッケルが岩を打ってしまって決まりにくくなってきていたが、逆に闘志(多分、体が死を予感しててテンションがあがっている)が湧いてきていて、頑張って登ることに決めた。

そして、気がついたら登頂していた。

周りに人はあまりおらず、写真は手持ちで自分撮りとなった。

後で気づいたが、このとき右耳の上部が思いっきり凍傷にかかっていた。(写真を撮った当時は、ホワイトアウトしていて、発見できなかった。)

帰りはどうやって帰ってきたのか正直あんまり覚えていないが、少なくとも行者小屋から都内のレンタカー屋までは、半分以上寝てたように思える。とにかく生きててよかった。

こんなに全力使った日は人生でもそこまで無かったので、非常に良い経験ができた。ただ、しばらくは登山はやる気が起こらない気がする。ちょっと出し切った感がある。暖かくなってきてから、また奥多摩などの低山などから登り直したいように思う。