津南小版「ブタがいた教室」 via 痛いニュース
最近のニュースになってるけど、何年か前にテレビで見たような気がする。
確か、ビートたけしか誰かの教育について考える番組で。
その番組では、ある小学校で豚をみんなで育てて食べるという「教育」が行われたことが放送されていた。
最後は結局食べられず、後輩に引き継ぐ方向へ意見が固まったのに、
先生が意見誘導して(したと俺は思う)食肉センターかなんかに引き渡した。
トラックで運ばれていく豚を見送る小学生たちは号泣していた。
さてこの教育、どう思いますか、みなさん。俺は最悪だと思うが。
食べ残しだとか、食肉に命があったことを感じないような世の中だから、そのへん教育しようと思ったんでしょう。
それが先生が愚かすぎて、なぜか食肉目的の豚に愛情をかけるという、
畏敬と愛情を混同したわけのわからない方針を打ち出した。
命の大切さ、なんて言葉を使うから混同するんでしょ。
命への畏敬も愛情も、その抽象的な表現は当てはまるけど、畏敬と愛情ではまるっきり違う。
「弥勒菩薩像を大切に保管せよ」というのと「私のリカちゃん(人形)捨てないで」というのではまるっきり違う。
それが、前者を教えたいのに、手段が「リカちゃんで遊んで最後はぶっ壊す」となったわけだ。むしろ殺人犯養成としか思えんよ。
あの豚がかわいそうでならない。あーめん。
ってことで、今日はこんなディスしか書くことない。。
土曜なのに誰とも話してないぞ!論文読みまくり!
あーー超すすんだ。 たまにはこういう休日もいいですね。よくねーよ。
俺もその教育は最低だと思う・・・。
自分のペット(犬とか猫とか)を食べるのと同じだねー
その子供が負った傷の深さは相当だと思う・・・
そこまでしたらその場で丸焼きにしないと意味ないだろー
教育のために不要な愛情が注がれた豚はかわいそう,餓鬼はどうでもいいけど
豚の姿をしてるけど,実は脳移植された豚で,脳味噌が20歳位の女性で,
「実は人間なんです殺さないで」とかいう想いが伝わらずに屠殺されてしまうとかなら逆に萌える
>タカ
いやー絶対こどもトラウマでしょう。
食肉用に豚育ててる人も、この教育には絶対納得いかないはず。しらんけど。
>Y田
>脳味噌が20歳位の女性で,
このあたりに君のすごさを感じます。。
私は基本的な方針としては賛成だな~。
食べ物の大切さをリアルに感じられる環境にない人(あえて「子ども」ではなく「人」と言う)にとっては
普段食べとる肉や魚が、動物園や水族館で見る豚や牛、鶏、マグロやハマチの「体」だっていう実感が薄いんじゃないかと私は考えるし、それってやっぱりどうなんかなと思う。
実際に自分が育てたわけじゃないけど
数年前、ドキュメンタリーで、豚か鶏を学校で育てて、最終的にその動物を自分たちの手でさばいて、料理して、食べるっていうのをテレビで観たことがあるよ。
その番組では、ちゃんと料理して食べるところまで放送しとった。
さばくときの子どもたちの泣きじゃくる姿とか見ると、こんなことまでして、と全く思わんかったわけではないけど
最後に子どもたちが「私たちは普段、動物の命をもらっているんだということがわかりました。これからは、感謝して食べようと思いました」みたいなことを確かいよって、それを聞いて、私は、こういうのって、必要なんじゃないかなと感じた。
実際、テレビを見て、私もそれから食事をするときに「命をもらいよるんじゃ」って思うようになったし、残さず食べようってより強く思うようになった。
学校の授業としてはリスクの大きい挑戦だけど(なおさんが言うように、これをトラウマにしてしまう人もおると思うし、保護者やいろんな人からの批判も受けかねんことだしね)、これだけの経験をしたら、一生食べ物のありがたみって忘れんと思う。それはトラウマになったとしても同じじゃないかな。
あと、愛情っていうのは「込めた」んじゃなくて「育てるうちに自然に込まれた」ものであるだろうし、それはもしかしたら、実際に食肉用の豚や牛を育てる仕事をしよる人だって、愛情が「込もる」ことだってあるんじゃないかな。
意義のある「授業」だと、私は思う。
どうもです!
>(なおさんが言うように、これをトラウマにしてしまう人もおると思うし、保護者やいろんな人からの批判も受けかねんことだしね)
いえ、僕が思うのはそこではないです。保護者の批判も、まぁ何をやっても誰かしら批判はするだろう、と思っています。
もちろん、命の大切さや、人間が他の命を奪わないと生きていけない、ということを教えるのは良いと思います。
しかし、そもそも論として、飼育用の豚には愛情をかけて育てないよ、ということです。
結局、今回の教育法は、「子供たち心に強いインパクトを残す」という以外に、「飼育用の豚を『愛情かけて育てる』」理由がありませんよね。
これって言い方は悪いですが、一種のショック療法、もしくは、吊り橋効果だと思うんですよね。
おそらく、子供たちが流した涙の理由は、本来教えたかった
「食べ物に対する畏敬」
ではなくて、
「『可愛がって育てた生き物』が殺されてしまう恐怖」
になってしまっているのでは?と。
ここをごちゃ混ぜにして教えてしまっているところが、ちょっと怖いですね。
んー。むずかしいなー。
私は、「食べ物に対する畏敬」、「『可愛がって育てた生き物』が殺されてしまう恐怖」の一方じゃなくて
両方を子どもたちが経験から感じることは、悪くないと思う。
日本の家畜事情(なんか変な言い方だけど)に疎いけえ、明言はできんけど(さっき書いた、家畜主の人だって愛情が生まれるんかもしれんというのも、疎いことを踏まえての発言)、なんていうんかな、「愛情」に重きを置いたのではなくて、「命」の方に重きを置いた教育だと思うんよね。結果的に育てることで愛情が生まれてしまうけれど(というと言い方が変だけど、でも、ここでの豚に対する愛情は、自然発生的なものであるのは違いないと思う)、命を犠牲にして食べとるという点では、スーパーに並ぶ食肉を食べるのと同じだし、仮に愛情が芽生えてない豚、具体例として、さばかれる直前の食用豚を学校に運んで、子どもたちに「はい、これがいつもみんなが食べている豚です。豚を殺して、さばいて、それを食べているんだということを学んでほしいので、みんなでさばいて、これから料理します」っていう方法でも、子どもたちは程度の差こそあれ、かなりの衝撃を受けるだろうし、「豚がかわいそう」とか「だけどこうやって私たちは食べてるんだ」っていうことがわかる。
それだけでも十分意味はあると思うけど、やっぱり「育てる」っていうこともポイントなんかもなと思う。
「命」を教えるって、そういうことじゃないかと思う。
んーーー。
むずかしい。ごめん。なんかうまくいえんし、ごちゃごちゃになってきたーーー
でも、やっぱり私は、さっき書いたようにテレビ観たときも、これは必要なことなんじゃないかって思ったし、今もそう思うよ。
いやぁ、確かに難しいですねぇ。
>両方を子どもたちが経験から感じることは、悪くないと思う。
畏敬と愛情の両方を感じることは悪くないんですが、それをもって
「君たちが生きていくためにおこなっている食べるという行為とは、こういうことなんだよー。」
とするのは、教育として間違っていると思うですよねぇ。
なぜならば、人間は(おそらくは他の動物も)愛情をかけて育てた生き物を食べたりはしないわけですから。
>やっぱり「育てる」っていうこともポイントなんかもなと思う。
>「命」を教えるって、そういうことじゃないかと思う。
すみすさんがこう思う理由に、すみすさんの主張が100パーセントつまっている気がします。
うーん、理由が気になります・・・。
自分の考えを言い出しておいて、おいおい、これはないだろってかんじだけど
理由っていうのがはっきり先にあるというより、実際テレビを見て、感じたこと(=これは意義深いことだっていうこと)があるけえ、ほんとうまくいえんのんだけど・・・
考えてみた。
もし自分が教育者の立場だったら。
飽食である現代の食べ物に対する意識(主に子どもたちの)に危機感を感じ、自分が教師として、普段食べる肉や魚、それらが「動物」つまり「ひとつひとつの命」であることを、子どもたちにどうやって教えるか。それぞれに考えてもらうか。感じてもらうか。
そう考えた時、私だったら、今回のこととほとんど同じ方法を選択すると思う。
それはきっと、実話の方と映画のことを知らんでも、そうだと思う。
それが一番子どもたちに伝わる方法だと、考えると思う。
これじゃ理由にならんかもしれんけど、うーんと考えたとき、そう思った。
自分の性格とか、アパレル業界における皮革製品に対する自分の意思とか、そういうものも含めて、客観的に自分を見たときにね。
なおさんがもし教師だったら、食べ物の大切さや、そこに命があるという事実を子どもたちに教えるときに、
どういう方法をとると思う?
愛情をかけるとおいしい豚になるんだよ。って農家のおじさんが言ってました。
俺が同じ日に見てたのと同じニュース見てたんだな。
かなり割り込みだけど、俺はnaoharuよりの意見だな。
これは教育者の倫理観がかなりひどいと思う。
そもそも本来の目的から違った方向に行ってると思うし。
俺の考えとしては、この問題は教育的に得るものがあるかないか
ではなくて自分にとって「大事なもの」が失われる悲しさしか
得られないことにあると思う。
naoharuが言うように愛情をかけて育てるって事はもはや
ペットの域に達してるわけで、それって家族が殺されるのと
同じレベルだと思うんよね。
愛情をかければおいしいのはわかるけど、
食べるのを知っててかける愛情と、家族や仲間同然で
育てる愛情は違うと思う。
大切なのもとして認識させるような接し方をさせて
殺すって言うのはおかしいと思うなー。
この認識の問題が大きくなると…の話もしたいけど
話がそれるからやめとこー。
>すみすさん
うーん、僕なら、そうですねぇ。
今回の教育では、肝心な命を奪う瞬間を見せてないので、
生きた魚をさばくところを見せるとか、一番目的にあった手段だと思うんですが、どうでしょうかね。
僕の行ってた高校は、産業技術科という畜産とかに関係するクラスもあったんですが、
そこでは確か鶏のと殺を教育として行っていたと思います。
やはり、「自分が(愛情をかけて)育てていないもの」の命を「人間が生きるために奪う」っていうシチュエーションじゃないですかね。直面させるとすれば。。
>しろたそ
あーーなんかそれ見たことあるな!そのおっさん酷い!
>こうたろう
>この問題は教育的に得るものがあるかないか
>ではなくて自分にとって「大事なもの」が失われる悲しさしか
>得られないことにあると思う。
うーんよくわからん!