某バイトが最終日だった日

「最終日だった日」って題名も変だけど。。。
というわけで、約1年間つづけてきたACCESSでのアルバイトですが、今日で終わり。まぁそろそろ修士論文執筆に向けて、本腰いれなあかんだろうということで。

とにかく、こんなヤカラを1年間も雇っていただいて有難うございました。おそらく、ACCESSで働いているであろう数多の学生アルバイターの中で、実装力(開発力?)やコミュニケーション能力において、群を抜いてダメだったと思います。それでも1年間やってきて、ちょっとは使えるようになってきたかなーってところで、、、コスト(バイト代)掛けて育てたところ、就職もせず、しかもバイト自体も勝手に辞めていくという。。。あああ。申し訳ない。

最後、お世話になった方々に挨拶して、本社ビルを去ったとき、さみしかったなぁ。「自分の居場所が一つ減った」といえば大げさ(だって週一日だけだし、、)だけど、確実に「毎週行かなければならない場所」が無くなったわけで。

何が一番悲しいって、お世話になった社員の人たちの中で、「俺」という存在が確実にこれから「思い出」になっていくという事。逆に、お世話になった社員の方々の顔や喋り方が、俺の中で今から思い出に変わっていくということ、それが「確実な事実として決定されたこと」が悲しい。

どんなに精神的・肉体的にキツいことでも、後から思い出してみれば、結構いい思い出になってたりする。そりゃあそうで、リアルタイムに向き合っていたときの真剣勝負的な苦痛はそこには無いわけだから、覚えておきたいことしか覚えてない。よく「人間は忘れることで生きていける」的なことを言いますがね・・・。そんな系の話だ。
なんつーか、「思い出補正」みたいな感じ。昔やったドラクエほど名作に感じる、みたいな。。(ちょっと違う)
ってか別に今日たまたまこんなことを考えてるだけであって、今回のこのアルバイトが精神的・肉体的にキツかったというわけでは全然無い!

あぁぁ、、思い出に変えたくないことが沢山ある。そういうのを守るためにはどうしたらいいかというと、今回のアルバイトみたいに途中で辞めたりせずに、ずーーーーっと向き合って行くしかないんだよねぇ。それはずーっとリアルタイムに苦痛や憂鬱とかともに向き合わないといけないからキツいけど。それでも、思い出になってしまうよりはマシだ。

そう考えると、「忘れる」ってことは、実は、向き合わないということを自分で選ぶということなんだろうな。よく不可抗力的に考えられるけども。実はそうじゃない。

まぁそんなことを再確認した日でしたー。

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