登山のディティールはすぐに忘れてしまう。たとえエベレストでも忘れてしまう。だからぼくは書き留めておく。暖かくて体の隅々に染み渡るこの記憶のスープが、薄く冷たくならないように。

For Everest / 著:石川直樹

6エントリーに渡って書き綴ってきたペルー旅行期も今回で最後。今までの記事はこちらのタグにまとめた。旅の日記を書き終わってしまうという事に対しては、一つの旅が完結した思い出として記録されるということで、清々しいような、すこし寂しいような気持ちである。

前日、古代インカ帝国の首都クスコから、汽船などが航行可能な湖として世界最高所(3810m)として知られるチチカカ湖のほとりにある商業都市プーノにバスで移動した。道中、バスガイドが言うには、プーノはクスコよりも標高が高い場所にあるにも関わらず、気温は暖かいらしい。理由は、チチカカ湖が昼間に強い直射日光にさらされ、夜はその水が巨大なヒーターとなるためとのことであった。(ちなみに、チチカカ湖は琵琶湖の12倍の大きさらしい。)確かにクスコよりも温かいように感じた。

チチカカ湖の西側に丘に位置するホテルなので、強く朝日が差し込み、早朝に目が覚めた。朝食としてコーンフレークにジャムを入れたものやドラゴンフルーツなどをとりチェックアウト。
ペルーへの入出国に必要なイミグレーションカードを無くしたことも、出国時にいくらかのペナルティを払う事でおとがめ無しということを聞き、安心した。

その後、チチカカ湖に葦を集めて島を作りその上で暮らす民族、ウル族の村に向かった。もちろんここも観光地であり、格安でボートに乗る事ができた。チチカカ湖はペルーとボリビアの2国間に位置する事もあり、船には両国の国旗が飾られていた。

プーノの空は高い。

ウル族は、インカ時代に賎民として追われて浮島に暮らすようになったとも言われており、現在は純粋なウル族はいなく、ケチュア族やアイマラ族との混血の人々が暮らしているとのことだった。彼らの生活の源はの1つは漁業であり、2つ目は観光業であった。

この旅の途中にずっと感じていたことは、マチュピチュの麓の街にいた子供達を見てはっきりと認識した感情であったが、自分たちのような異国の文化などを楽しもうとする観光客が、現地の昔からの暮らしを変えていくということだった。

ペルーは観光による収入が非常に大きいとはいえ、日本人の観光客の多くは物価を低く感じたと思う。また自分たちが落とす外貨は、現地の人々の月収の数ヶ月分にあたることも目の当たりにした。確実に自分たちは、彼らの経済系を乱していると感じた。しかし、ウル族のいくつかのグループのうちの、1人のリーダーが言っていた。自分たちの暮らしも変わって行くのだ、と。

この地でこんなにお金を使っていいのか?と思う事自体、おこがましいのかもしれない。彼らには彼らのグローバル化がある。チチカカ湖に面する都市プーノはボリビアとの商業拠点であるため、ビジネスマンが多く訪れる。現地の物価で利用可能なインターネットカフェも存在した。もはや世界中の多くの場所で、経済的に無知・弱者のフリは通用しないことを、日本人以上に彼らは強く認識しているのかもしれない。

プーノを後にする直前。朝、太陽の光が強く当たっていた西側の丘の上から。

自分としては初めての南半球であったため、どういう旅になるか、心配していたこともあったが、無事旅を終える事ができ、また世界史の参考書を見るだけでは発見できない、いくつかの感情にも出会う事ができた。
ペルーにあるものは、遠く古代から発展してきたインカ帝国の遺跡だけではなかった。

往路と同様に、帰りも経由地点であるアメリカはヒューストン空港に飛んだ。機内からはアンデス山脈が見えた。

南半球の空の青色がグラデーションを描いて溶けていた。