5日目は完全に移動日だったが、何故か一番思い出に残っている。観光名所ではなくて、ペルーの人々の生活を見る機会が多かったからか?いずれにせよ、数ヶ月たった今でも鮮明に覚えている日である。

今まで拠点としていた都市クスコを離れて、アンデス山中のペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖「チチカカ湖」のほとりにあるプーノという都市に移動する日であった。移動手段はバスで、インカ・エクスプレス社のバスで移動した。
途中休憩場所として、歴史のある教会や遺跡、峠などで休憩を挟みつつ、およそ8時間程度の旅である。

朝の7時半頃にクスコを出発。この時点で、この旅行でクスコは最後であるため、ちょっとだけ寂しくなる。ほんの数日過ごしただけの街に対して思い入れが生まれるのも旅の良しあしだと感じつつ後にする。

1時間ほど高原を走ると最初の休憩である。最初の訪問地は、アンダワイリーヤスという教会がある村だった。バスガイドによると、17世紀にスペイン修道士によって建造された、国内でも有数の豪華な内装がある教会とのことだった。ちなみにペルー国内の教会は、偶像崇拝禁止の観点から、ほとんどの場所で建物内での写真撮影は禁止されていた。

絵画や壁画、天井に描かれた綺麗な模様、金ぱくで飾られた祭壇などを見て、当時のエバンジェリストの工夫や熱意に思いをはせた。大都市からは離れているとはいえ、クスコとプーノを結ぶ交通拠点であるためか、土産物をうる商人の姿は多く見られた。

ここでもやはり観光業が多くの家庭の生活を支えている事はあきらかだった。アンダワイリーヤスでの休憩を終え、再びバスは走り出した。この頃から周りの風景は、高原から高地へと姿を変え、植物が高山植物に変わり、家の作りなどが乾燥したレンガ造りに変わっていたのが印象的だった。

小学校らしき場所で子供達がサッカーをしていた。

アンダワイリーヤスから1時間程度走ると、ラクチに到着した。ペルーという国は複雑な文脈があり、古くはインカ帝国の発祥・繁栄以前からも宗教的文化圏が存在した。また、16世紀には、高校の世界史で有名なフランシスコ・ピサロ率いるスペインの征服者達が侵略し築いた、近代(?)のインカ帝国の文化も存在する。
この辺りの差異等を抑えて旅をするのが一番面白いのだろうが、残念ながら勉強不足での敢行となったことが今になって悔やまれる。
ともかく、バスガイドが言うには、今バスが休憩所として停車したラクチにある遺跡は、古代インカ帝国発祥よりも古くからこの地にあったというインカで最も聖なる神殿といわれる場所であるとのことだった。

マチュピチュやクスコでも見られた、古代インカ帝国文化圏に特有の緻密な石組みの上に、独自の土壁を組み合わせた方式で、このラクチ遺跡は建築されていた。ここは高度も3500m近く、乾燥して日差しも強い気候で、土による建築技術が発達しやすかったのかもしれないと素人ながら考えた。これらの遺跡では、現在も少しずつメンテナンスが行われ、当時の姿を再現する作業が行われいていた。

ラクチを発って2時間弱、少し眠りについていたら、シクアーニという小さな村につき、ここでビュッフェ形式の軽めの昼食をとった。

今まで書いて無かったが、今回のペルー旅行全日程を通して、食事に不満はなかった。強い日差しや、もしくは乾燥した風土が良いのかは不明だが、果物や野菜は旨味が凝縮されていた。また、山岳地帯や熱帯などが比較的近距離に位置する為か、食材が豊富であったように思う。

食事を終えて再びバスに乗り2時間弱ほどで強い頭痛が訪れた。頭痛の理由は高山病で、この時に今回のペルー旅行での最高峰を迎えた。場所はララヤ峠という、ペルーを南北に分つアデンス山脈の一地帯である。写真を撮っている地点で既に高度4338mだった。

目前に見える雪山はアンデス山脈の名峰であるチモヤ(5489m)やクヌマラ(5443m)であった。

どうやらララヤ峠が今回のバス移動の最高到達点であり、あとは標高としては下って行くだけだった。1時間ほど下り、プカラという村に到着。ここも古代インカ帝国時代の遺跡が発掘される場所であった。

そしていよいよ日が暮れるころになり、本日の目的地のプーノに到着。

プーノは世界最高地に位置する湖であるチチカカ湖を有する観光地という側面の他にも、クスコやマチュピチュとは違い、ボリビアに面すると言った商業都市としての一面も垣間みれた。

ホテルにチェックインした後に街を探索したが、若者やビジネスマンを中心とした賑やかな街であった。

(建物の多くに、次期大統領選挙の立候補者の名前が書かれていた。これが書かれている理由については、次回の日記で詳細に記す。)

街の観光客向けのレストランで夕飯をすませた。非常に寒くかったことや、高度が高かったこともあり、ホットワインで驚くほど酔っぱらった。

また、この時点でペルー入国・出国に必要な移民カードを紛失していたことが発覚した。。。(この事の顛末の詳細は、自戒の日記にて記す)。出国手続きが非常に面倒になることを予感しつつも、この日は移動で疲れていたこともあり、早い時間に就寝した。