一眼レフカメラを初めて手に入れた日から、およそ2年半。。。デジタルをいいことに、枚数だけは多く撮った気がします。あの日から今まで、もちろん

「良い写真撮りたい!」

っていう思いはあって、ひたすら枚数だけはとってflickrに上げていたけど、1つのターニングポイントになったのが、第4回目ですよね。

dada「見せ方は大事だよ」

なるほどね〜。

写真って人間が撮るわけだから、ある1枚の写真だけ単品でドキュメントになることってあんまり無いと思うんだよねぇ。つまり、写真1枚ごとに名前を変える匿名のカメラマンになったりしない限り、見る人にとっては、ある写真には必ず撮影者の人間性がついてくるわな。

たとえば、同じ人が撮った、「楽しそうにハメはずしてる飲み会の写真」と、「超シリアスなモノクロ写真」を一緒に見せたとしても、「いやいや、おまえ嘘つくなよ。」って、多少は、なるんじゃないかな〜と思う訳ですよ。写真1枚1枚完結したストーリーって、無理なんじゃないなあと。そういう時、見る人が想像する「撮り手の人間性」って邪魔になるなって思ったり。

そう考えると、写真って、ある意味では、加点法じゃなくて、減点法の部分があるなあと。
つまり、

・「良い写真1枚」
・「良い写真1枚+微妙な写真10枚」

の2つだと、時には、後者のほうが訴求しない場合があるんだよね。

「何も無いよりは、あるほうがいいじゃん。」

っていう論理が通用しない、つまり、微妙な写真10枚が、1枚の良い写真の説得力を薄めてしまったり、嘘っぽくしてしまったりする場合があるんじゃないかと思っていたんです。

でも、それって逆に、1枚1枚にこだわりすぎなんだと、ForestBUMPとこの前話してて気付きました〜。1枚で見せようとすると、構図がどうだ〜とか色味がどうだ〜ってなってしまう。その1枚に全てを詰め込みまくろうと思うし。

たくさん写真を撮ってたくさん見せる人は、その人間性も浮き出てきやすい。それって上述したような悪いことだけじゃなくて、たとえばこんな事もあると思う。

ForestBUMPの例でいうと、彼は、奥さんの写真を奥さんが彼女だった時代からず〜っと撮ってるし、俺はずっとそれを見てきてる。だから、彼が単に自分を撮った写真を見ただけで、なんとなくだけど、今奥さんが赤ちゃんのために実家に帰ってて寂しいな〜って雰囲気を少しだけど感じたりね。

もちろん、この写真単品ではそんな表現やメッセージは無いから、完全に外部情報からの拡大解釈なんだけど、現に俺はこの写真みてそう感じてグっときてしまったわな。

だから、「1枚だけで良い写真」なんて、逆に無理なんだろうな〜って最近思いはじめてきました。

1枚だけで表現しようとすると、いわゆる、フォトコンテストで賞をもらうような写真を目指してしまう。でも、別に賞をとったり、見ず知らずの人を感動させたいってわけじゃないんですよねえ。(結果的にそうできれば、それはそれで良いとは思うけど。)
それよりも、上にあげたForestBUMPの写真のような、ドキュメンタリーを感じさせるようなのを撮りたい。
もちろん、被災地での写真とかで、「たった1枚」で被災者の暮らしの大変さ、力強さとか、モノスゴイ範囲で写す写真もあるけどね。

でも、とりあえずは自分のドキュメンタリーを見せるような写真を撮って行けたら良いな〜って感じました。
構図とかも大事だけど、「この写真(単品だと)気に入らないからお蔵入り〜!」ってしてしまうのも、それはそれでもったいない。

「記録か表現か」じゃなくて、「記録し続けることが表現になる」って感じでしょうかね。家族アルバムとか、そうだもんね。